2011年4月30日土曜日

急性扁桃炎(自己診断)にかかる

のどが痛いと同時に風邪っぽくなっていましたが、金曜日の朝喉の痛みで良く眠れずその拍子に痛いところを鏡で光をあててみてみると、

喉ちんこが倍以上に膨れ上がっている。


おいおいコリャ痛いよなーってこんな事になった事が無いんですが、こりゃ大丈夫か!?と夜中なりに心配していたところ、

その奥の両壁にも肥大して喉を圧迫しているなんだかおっきな腫れ


を視認しました。

・・・・・・・・・・・

痛くて、唾も飲み込めません。触ってみると、のどちんこもその奥の両壁から出てる腫れも痛い。仕方ないので、洗面台に一時間おきに行く始末。

そして次の日、普通なら病院へ行くはずですがそもそも病院へ行くのが嫌い。なので、渡米前に会社の病院からもらった薬を確認。欲しいものは、消炎鎮痛剤と抗生物質、風邪薬。

全部あるじゃん。


というわけで、異常に片側だけ喉の奥が張り出していて、自己診断は無謀なのは承知ですがこんな状態で外出たくない+どうせ薬もらってお終いなのである薬飲んで寝込むことにしました。

さてネットで調べた対策法。

1、うがい(緑茶・イソジン)
2、腫れ部にイソジン直接塗布
3、のどスプレー買って来て照射
4、抗生物質、消炎鎮痛剤を飲む

1、→痛くて無理
2、痛みが増しそうなので却下
3、噴射後、30分は針を刺したような痛みが続き、水を飲んで中和
4、飲んで一日経ったら喉ちんこの腫れが半分に。

というわけで、要は薬飲んで寝てろってことですね。次の日にはなんとかものが食べれる痛みまでレベルダウンしました。

2011年4月26日火曜日

トルコ親睦会

日本人の友人を通して、トルコの方とのお食事会に誘われました。どうやらトルコ料理をご馳走してくれるとのこと。理由は何かというと、トルコの人たちは日本が大好きだから東日本大震災で日本が被災しているのを見逃せない!とのこと。

私達アメリカにいるんですけど。

という疑問とは裏腹に、トルコ人通しで募金を集めてくださったようです。非常に頭が下がる思いと共に、色んな気持ちが伝わってきました。こちらの日本人でも色々と活動をしているのですが、こういった形のものはやはり非常にうれしく思います。

なぜトルコの人が日本が好きかというと、ことの始まりはやはり1800年代後半の和歌山県沖のトルコ船沈没事故でしょう。台風でトルコの船が沈没してしまいましたが、そのときの日本政府は助かったトルコ人を船でトルコまで帰国させました。今教科書に載っているかは不明ですが、勉強したのは憶えていました。

加えて日露戦争の海戦での勝利。その時、トルコはソ連軍が間近に侵攻していたため大分苦しめられていたところの日本の勝利だったようです。

それに対し、トルコはイライラ戦争時に日本がイランにいる日本人を帰国させることが出来ず、それを知ったトルコの航空機がその人たちを日本まで帰国させてくれました。

とまあ全部、プレゼンしてくれたんですけどね。


以上の様な良好な国関係から、今回はお食事を頂けることになりました。先人達に感謝というか、身近なところでおじいちゃんの兄弟に感謝したりない気持ちですね。


さてトルコ料理ですが食べたことがありませんでした。個人的にはケーキがおいしく、アメリカで売って欲しいくらいです。それ以外にも、パンがおいしかったです。


トルコ語と日本語はルーツが同じとかで、文法が似ているようです。何人かの方と話しましたが、英語の文法勉強しなきゃいけないよねと言っていました。英語の訛りはきつくないですが、子音がはっきりしないのはどこのノンネイティブも同じようです。

2011年4月24日日曜日

エッグハント


卵拾いなどというと怒られてしまいそうですが、イースターエッグ誕生祭りというものが今日ありました。どこもかしこもプラスチックの卵の中に入っている何かが欲しくて子供達が殺気立っています


チラシにも書いてありましたが、朝7時半からUniversity Ave沿いのCoppsにてプラスチックの卵が商品棚に隠され、中に入っている番号次第で景品がもらえます。


これを狙って朝早く起きて向かいました。アメリカ人の時間間隔からして7時半ということはピークは7時40分くらいだろうなと勝手に思っており、7時31分に到着し、ちょっと早かったかなーと思いながらCoppsに入りましたが、


なんとすでに残り1個。


しかもかなり多くの子がどこかどこかと探しており、1分差で後発のわが子はもはや流れに乗れず、横から景品が他の子に渡されていくのを眺めていました。親達はさっさと諦めて、買い物して帰宅。

すると、なんと10時からMonona湖周辺で、13時からはピッツバークでエッグハントがあるというではないですか。それを子供に伝えると、「私はスーパーの中では走らなかったけど、公園なら走れる!」というそんなときだけ律儀で変な感じでしたが、お友達に誘われたこともあっていくことに決めました。

場所は、スーパーウォルマートに行くときに降りる高速まで行き、そこから5分程度。大きな公園があり、0-3、4-6、7-9歳とハントする場所が年齢で分かれていました。今回は探すというよりそのへんに転がっています。これはなかなか良い。9時半に着いたため、4歳の長女は早速いい場所を陣取り、1歳半の次女はエッグハントなんぞ全く興味を示さず、人の持ってるカメラをよこせよこせと30分間粘られました。

開始10分前にはあまり人がいなかったので、これは大分とれるだろうと考えていたところ、3分前にはその倍以上の人が集まってきました。。そうそうこれですよ、朝予想していたのは!


そして、消防車に乗ってうさぎが到着し、カウントダウンと共にエッグハント開始!0-3歳は和やかに落ちているタマゴを子供自らが拾っていましたが、なから英語が分かる分

「さあ、このタマゴみんなで分けるわよ!と20個くらいかごにいれている親がいたのにはドン引きでした。その子小学生だろ!

次女はハントが始まっても全く興味なし、次から次へとエッグをスルーしていきます。しょうがなく「ここにあるぞ!ここだ!ここ!」と一つ完全に自分が体を張って囲ったところをのーんびり拾って、一回捨てそうになりましたが、どうにか持ってきた袋に入れさせました。

一方、4-6歳はどうかというと、カウントダウンの3秒前に我慢できなかった子供達がカウントスリーで中に突入。その何秒か後に、写真を撮りたくて我慢できなくなった親達が突入まさにカオス。その中でも、朝見つけられなかったフラストレーションが溜まっていた長女は、

リミット7を超えた10個を手にしていました。。(英語わかってない)


それを友達とで分けて、なんだーかんだーと帰る時間に。とっても楽しかったです。

2011年4月21日木曜日

MMSD(Madison Metropolitan School District)のプレスクール

4K(4year Kindergarten)でお馴染みのMMSDは、4月11日から5月末まで近くの公立の高校でプレスクールというかチャイルドケアをしてくれます。費用は$50。朝9時から12時近くまで高校生が見てくれます。というわけなので、春休みの4月18日から1週間はお休みで、Meeting Nurseryもお休み。


申し込みは、上記MMSDホームページから申込用紙をダウンロードし(申し込み期間になると表示されました)、指定の住所へ小切手と共に郵送します。レシートは着ませんし、受け取ったという連絡も無しでとても不安になります。さらにEmailが間違って登録されていて、初日の持ち物やらの連絡がありませんでした。。たまたま一緒に通う予定だった方に教えてもらったからいいものの、、これでアメリカでのこうゆうミスは通算7回目くらいです。


Meeting Nurseryは半日の保育で、長女は午後の部だったため午前は墓地の近くの高校でドロップ。12時前にピックして1時までに大学病院近くのNurseryに行くというちょっとした過密スケジュール。お昼ごはんのその間に食べなければなりません。


内容はどうかというと、一応きちんとプログラムされていて何時にスナック何時に何をすると決められています。長女は英語で名前を聞かれてもまだ答えられませんが、一緒に通っている友達が代わりに答えてくれたようです。


長女にとっては、午前のプレスクールも午後のNurseryもあまり変わらないようです。というか、午後には疲れてNurseryで寝ているという話を聞きますが、お金払って寝に行くとはなんという根性。。先生に眠くてフラフラになりながら車まで連れてきてもらったこともあったようです。

2011年4月16日土曜日

アメリカ出産④初めてのMeriter

Meriterと言えば、出産専用の病院!という印象がありますが、それ以外にも色々な科があるようです。場所は、University Ave.からN park St.を高速方面へ少し行った所。検診がある人は、駐車券を窓口へ提出して印をもらいます。

最初、扉を入ってすぐのレジストレーションに行きましたがなぜか直接産科に行けと言われました。。いきなり産科に行くと、レジストレーションに先に行けと言われたりもするらしいですがこのあたりのいいかげんさにはいいかげん慣れました

奥のほうにある、突き当りの部屋が産科の待合室で最初なので産科で住所・名前等のレジストレーションを実施。いざ、検診へ。

この日は、エコーでじっくり時間をかけて赤ちゃんの状態をチェックしました。まあその横では、4歳児と1歳児がシリアルをばりぼり食べているのですがもう緊張感は全くなし。

赤ちゃんがちょうど見たい部位が見えない状態だったので、看護婦さんからちょっと歩いてきてという指示。10分後、エコーに戻ってみてみるとばっちり赤ちゃんが動いていました。歩くだけでも大分動くものなんですね。これで、赤ちゃんに初期的な異常が無いか検査が完了しました。

引き続き、カウンセリング。

別室に通されて、赤ちゃんを産むにあたってのカウンセリングを受けましたが、そもそももう4歳児と1歳児が部屋で動き回っていたので相手も「こりゃ心配ないわ」といった感じで速攻終了。このときに、血液採取をしました。もし、検査に異常があっても無くても電話で検査結果を教えてもらうようにしてもらいました。これは相手からの提案です。

数日後、問題ありません。という電話が通訳さんを通してありました。わかったからそろそろ嫁に直接かけてくれ

アメリカ出産③

West Towneクリニックの産婦人科で初めての検診。まずは看護婦さんとの面談です。

まずは小児科でベテランとなったレジストレーション。ラストネイムと住所と名前だけ言って完了。二階に上がると、またもや名前を呼ばれて待っててねと言われました。

通訳の方とも合流し、いざ検診へ。とはいっても看護婦さんの面談ですが。

話を聞くと、自分の親に持病がなかったか、今までの出産で大変なことは無かったか、自分達の病歴は?などといったことを細かく聞かれました。

まあ最初に東日本大震災があった週なので、身内は大丈夫だったか聞かれましたがそれはまあ一旦大丈夫。

看護婦さんは病名をどんどん言って糖尿病以外は分からず通訳さんがいてくれて非常に助かります。20分程度面談して、身長・体重、次の予約と、1階で血液を採取しました。


まあ、1階で血液取るときにどうやら妻の誕生日が誤って登録されていたみたいでまたレジストーレーションデスクに出向くといったアメリカンミステイクがまたもや発生しましたが。。


1週間後、先生との面談です。シターリ先生というのですが、旦那さんが日本語を話すらしく会った手前「こんにちわ」と言われました。まあ高学歴民ですわな。

ここでも、先週に引き続き色々と病名から近辺情報を引き出され始めてのエコー。

先生「ほら赤ちゃんは一人ですよ」


ふたごだったら(経済的に)しぬわ。


それから、腕の本数や脚など見えるとこを大体見てくれエコー写真を印刷。4枚くれました。この時奥さんは布切れ一枚渡されて、服脱いで包まってと言われて少々焦っていましたがなんのその。うるさい子供を連れたわたくしは早々と待合室へ引っ込んでしまい、勇敢に職務を全うされていました。

アメリカ出産②

UHSにはせっかく妊娠検査を受けたにも関わらず、医者に会えず、2回目に電話すればさっさと産婦人科に行けということで、電話しました(大分電話慣れ)。


自分「あのー、産婦人科の予約したいんですけど。」
相手「いいですけど、あなたの予約?」


自分「いいえ妻です。(俺は変質者か)」
相手「あらそう良かった。」
自分「これ最初の電話なんですけど。」
相手「OK。保険の種類と奥さんの名前を教えて。」
自分「SHIPで、****です。」
相手「それでどうしたの?」
自分「妊娠です。」
相手「いつ?今まで出産経験は?」
自分「(答える)。」
相手「あなたの奥さんの名前登録されてないわね。レジストレーションデスクに回すから登録して。」
自分「(またかよ。)はーい。」


レジストーレーションデスクに飛ばされて、名前、住所、生年月日、SHIPナンバー、UWナンバー、SSNナンバー等を答える。一緒に、妻の分も登録。このとき、五時間近でレジストレーションは完了しましたが、医者の予約が出来ず明日掛けなおすことになりました。


明日


自分「医者の予約お願いします。妻が妊娠です。」
相手「OK。奥さんの名前と生年月日教えて。・・・・・・・・・・・、OK。1月頃から妊娠ということわ、そろそろ一回見ておいたほうがいいわね。そのとき空いてる先生をピックアップしておきます。日にちは**でいい?それと、奥さんは通訳必要?」


自分「もちろん(今すぐ呼んでくれ)。」




相手「じゃあ奥さんと話したいから。ちょっとしたら看護婦と通訳の人から電話するから待っててね。」


自分「分かりました(やっと終わったか)。」




2時間後。電話がかかってきて、色々と妻が質問を受けていました。通訳さんは別の場所から電話だけで3者同時通話みたいな状況でした。先生は、病院をかけもちしているらしくなかなか診断の日が決められませんでしたが、1ヵ月後に検診。2週間後に看護婦さんと面談。その他、気分が悪くなったらいつでも病院に電話することと、サプリメントを処方しておくので、薬局に電話しておくからピックアップして置いてください。とのこと。


どうやら話を聞くと、出産はWest towneのクリニックではなくMeriterという病院で出産の模様。診察と出産が違う場所というのも大分意識が違いますね。何はともあれやっとこさ先生のアポイントが取れました。

アメリカ出産①

最近妻が気持ち悪いと言っているので、おいおいホームシックじゃないだろうなと思いながらも何故か薬局に直行しました。妊娠を疑っているようです。

検査薬を買ってきて、試験してみるとポジティブ。


ポジティブ。


ポジティブ。


ははははは。


ポジティブ。


子供は二人で将来設計していたため、早速試算し直すことにしました。子供3人、最悪リスクは全員私大理系に進みたいと言った場合(医学部は無いでしょう。。)。田舎なので、高校までは公立のほうが教育レベルが高そうなので、そこだけは救いですがあまり贅沢出来ない路線で合意して3人目トライということになりました。


アメリカではまずプライマリードクターに会ってから紹介状を書いてもらって産婦人科行きというのが普通のようで、まずはUHS(University Health Service)にアクセスしてみました。(しかし、SHIPはいきなり産婦人科に電話して予約出来る。)

すると、MyUHSというものでインターネットで予約が出来そうです。担当の人にメールでログインアカウントを設定してもらうようにお願いして、ログイン。Woman Healthと選んでいくと、Pregnancyはネット予約じゃなくてさっさと電話しろと書いてあります。

早速電話してみました(本当はしたくない。。)。

すると、UHSでは予約無し無料で妊娠検査が出来るので、Student Print 6FのWoman Healthに行って検査してもらえといわれました。従って、次の日アポ無し突撃。

着いて、検査したい旨をReceptionistに伝えるとその場で妻のMyUHSを作成してもらって今日の記録を作成。審査用の紙と診断結果は20-30分後にここに電話してと言われた紙もらって、5F移動。そこのReceptionistに紙を渡すと中に通されるので、そのままいってLab/Radiologyのところへ。紙を渡して、妻だけ検査。終了。これで、解散です。

その場で結果をもらえるかと思っていたのですが、プライバシーのため電話で答えると言われため、電話するとやっぱりポジティブ。医者に見てもらって紹介状をもらうのかと思いきや、本当に妊娠検査だけでした。なんだよそんなのもう知ってるよ。


というわけで、気を取り直してもう一回UHSに電話!
自分「嫁が妊娠したから医者を予約できない?」
相手「UHSは妊娠対応してないわよ。」

自分「なんだって?」

相手「だから、妊娠検査以外はやってないの。UW Healthの該当する病院にかけて。」
自分「つまり、いきなり産婦人科にかけていいの?プライマリードクターの紹介状は?」

相手「いいから産婦人科に行きなさい。」

自分「分かりました。。」


つうか最初の電話のときに、ちゃんと伝えてなくて My wife seems pregnancy..とか言ったからちゃんと確認しろという意味で妊娠検査を受けろと言われたわけですな。。ちょっとした時間の無駄ですが、UHSの検査は非常に正確らしいです(しかも無料)。


というかなぜMyUHSではPregnancyはさっさとUHSに電話しろ何だろう。。何でもかんでも細かい対応は、UHSでの電話相談ということだろうか。。

英語の打率@7ヶ月

早いもので、こちらに来て7ヶ月。

もう生活も一段落し、何をして楽しもうか考える余裕が出てきました。

日常会話も特に英語だと意識することなく会話が出来ているため、やっとこさ人間扱いされてきた感があります。今までは聞いてる最中に何を言っているのか考えていたのですが、大体何がいいたいか先回りで予想しています。大分日本語の思考に近づいてきた感じがあります。

あと相手の発音。これがまた大分クリアに聞こえてきます。thとsの違いが明らかで確かに英語に慣れている人ならば、thinkとsinkは明らかに違うというのが分かってきました。

ただ、休日で日本語を話した後、月曜日に英語を話そうとすると口が回りません。。おそらく帰国して何ヶ月か経つとこれがひどくなる感じになるのでしょう。

リスニングは、ニュース番組、こちらをノンネイティブと分かって話してくる人とはクリアに頭に入ってきますが、ドラマ・早口英語は打率が7割くらいと低いです。。大体ドラマは単語が分からない!

7ヶ月目:発音の細かい部分がわかるようになってくる。

2011年4月8日金曜日

子供プリスクール@3ヶ月

4歳の長女がこちらの幼稚園に通い始めて3ヶ月経ちました。まだまださっぱり英語が分かっていない様子ですが、どうやらお友達の名前が分かり始めた模様です。最初は、「私の名前を変に呼ぶ子がねえ~」という話しっぷりでしたが、友達の名前を最近言っています。これは確かに進歩。

もうひとつは、先生の言っていることが分かり始めたようです。「***ちゃんの作った恐竜はどこにいったの?」というのが分かってました。まあ、空気を読んでいるのかもしれませんが。

またなんだかよく分かりませんが、どうやら結構友達に好かれているようで、登園していきなりハグしに来る子とか、先に帰ろうとすると後をくっついてくる子とか、スーパーであって一緒に走りまくったりだとかどうやら上手くやっているようで安心しました。まあ、怒りましたが。


一方、朝から晩まで好き放題勝手放題やっている次女は、一年越しにLearning Gardensに空きが出たため半年後の9月から通うことができる様になります。ただ今スーパーボーナスタイム。


朝7時から、テレビアニメがやっているのですが長女は訳が分からないらしく、何回もドラえもんやアンパンマンのDVDを見たがります。ストレスを溜めないためにはいいかもしれません。次女はしゃべれないので、何でも見ますが。。


という感じで、特に問題なく通園出来ていますが全く英語はしゃべりません。

2011年4月3日日曜日

International Feast

コンソーシアムでポットラック形式のパーティーがありました。

基本的に誰を連れて来てもいいということになっており、彼氏・彼女連れてきたりうちは家族で出かけました。世界中から人が集まっていることもあり、ポットラックも色々食べることが出来ると期待していましたが

案の定アジア系が一番おいしい。


半数弱はアジア人が占めているかと思いますが、肉まん・春巻き・餃子系を食べることが出来てうれしかったです。まあそのうち食べ慣れないものがあったり、ああこれあそこの冷凍だと分かるものもありました。微笑ましい。


食べ物を家族分取ってきてと言われ、じゃあ盛っとくか!と思ってガッツリ盛ったら各国の料理がお皿の上でコミュニケーション一つの皿で、7カ国以上の料理を再現するという試みは、コーンスロー味のマーボー豆腐など新たな味を生み出しました。全く、2回に分けて取りに行けば良かった。

席もてきとーに決まるのですが、まあやっぱり仲良し通しで食べたいですよね。そりゃ学生は学生通しで集まって、何となく同じ境遇で固まります。水は低きに流れる。


一頻り食べた後は、何故か子供の子守。下の子の具合が良くなく、夜中に熱が上がっていたので食べたらさっさと帰るかと思っていたところ、

外の遊具にまっしぐら。

1歳半の癖に一著前に滑り台を一人で滑りまくっています。そうじゃない、具合が悪化したら大変だ。。途中で女の子がやってきて、「遊んでいい?」と聞いてきたのがかわいらしかったです。自分がちょっと室内に入って戻ってきたところ、何かあったのか別れ話の後みたいな雰囲気になっていましたが気になりましたが。。


その後たまたま教授と話すと、どうやら東日本大震災の募金を教会で実施してくれたとの事。こうゆう時アメリカ人は気前がいいんだと話していましたが、正しく妻のバレーボール仲間も募金してくれましたし、チャリティーイベントにも想像以上の人が集まっていました。このあたりは見習いたいところです。