2012年4月28日土曜日

WASABI



かれこれ何年もお店で日本食を食べてないなあということと、個人的な理由でマディソンステイトストリートにある日本食屋さんWASABIにランチを食べにいきました。車はステイトストリートにすぐアクセスできるランプが何ヵ所かあるので、そこに停めます。

お店は牛のマークのアイスクリーム屋さんの向かいの二階です。お寿司用のカウンターもあり、醤油も常備。ランチボックスや鰻重、お寿司等も注文できます。

さて、日本食久々にたべるということで、鰻重とランチボックスを頼みました。席に着くなりお水を持ってきてくれるところがジャパニーズクオリティー?

注文後まず、味噌汁がレンゲと共に運ばれてきました。いやいや中華スープじゃないんだから。あと俺は鰻重と一緒に飲みたいわ。それと注文した餃子。皮がもっちりしている。既に醤油にはラー油がブレンドされている。手作りの餃子はこれだからおいしい。約$5









ランチボックス。天ぷら、鳥の照り焼き、焼き魚となかなかポイントをおさえている。そしてブロッコリーの天ぷら。ちゃんと中まで火が通っていました。これは新しい。約$10

鰻重。デフォルトで山椒がかかっている。タレはまあまあ。鰻の味がする。約$10

平日の1時半と言うことで、あまり混んでいなく快適でした。場所が良いのでこのままアイスを食べにいったり、ステイトストリートを楽しめます。

2012年4月20日金曜日

Special person's night and parent meeting


長女はMeeting House Nursery Schoolに通っていますが、年一度誰か一人を子どもが幼稚園に連れて行って一緒に遊ぶという日があります。Special person's nightと呼んでいますが、行って簡単なアクティビティーシートと、幼稚園でどうやって遊んでいるだとかどんな遊びが好きか等を子どもから教えてもらいます。帰り際になぜかNoodle companyの25%割引券も貰えます。


大体子どもが何が好きかというのは把握しているつもりですが、実際いつもこれをこうやって使っている等と聞くと家の中での遊びなどとリンクしていることが分かります。それで、何に興味があるかというとやはり家では出来ない友達との遊びをどうやっているか。特に長女はあまり話さないと聞いているので、それでも友達とは遊んでいるという謎の現象が起きているため、それとなく「友達いるじゃん。挨拶すれば?」と促したところ、


しれーと合流して一緒に遊びだした。


とくにハローとか言うわけでもなく、ささっと相手と同じ事をやりだしました。それに相手が気づいて合流完了です。なんというすばらしい技術。良い悪いはおいておいて、話さなくてもいけるということですな。まあ話せたほうが、ストレスが少ないと思いますが、話では友達とは話しているみたいです。




さて、同日20時20分。今度は次女の幼稚園のミーティングですが当然子ども厳禁なので、一人参加。先生は二人。次女は2歳半ですが、先生がいうところの「彼女は旅行から帰ってきたらすごく成長したわ!」とのこと。どうやら、回りを良く見ているだとか、使ったら片付けるだとか、きちんと言う事を聞いているだとか、総じて素直で手がかからないということでした。そして先生お気に入りのリアクションは、


「彼女泣いてる子がいると、その子にハグしたり、ほっぺにキスしたりするのよ」


おいおい、それどこでおぼえた???


というわけで、すごく回りの見れる優しい子という評価でした。すごいポジティブフィードバックです。一方、拗ねたときは一人でロフト下に篭り出すということもあるようです。家ではいつもテレビの前でひっくり返っているイメージですが、どうやら団体行動は上手い具合やっているようです。


従って、長女も次女も異なる個性を今のところ発揮しています。共通しているのは回りが見れている、片づけが出来るといったところでしょうが、これはおそらく空気読み・整理整頓・掃除に対して、先生の基準が日本の基準よりも低いだけであって、日本に帰れば別に個性でもないような気がします。では何が個性か?今のところその年齢に関係なく、長女は物事を人(親)から教わり、次女は言うこと聞かずに何でも自分で試しています。一旦は基となる学び方の違いが個性の違いに現れているのではないかと。つまり、長女→慎重派、次女→いきおい派。

2012年4月15日日曜日

英語が伸びない理由@渡米20ヶ月

渡米20ヵ月後の自分の英語力を分析してみます。

英語力分析


殆ど頭打ちとなっていると感じていて、そもそもこれ以上伸ばす必要が無いとも感じていることは確かなのですが、図中の赤線の通り、英語のモチベーションが周期的です。


すごく英語で話したいときもあるし、全く話したくないときもある。これに沿って英語の流暢度も変わってきていると感じています。細かく見れば、これによって総合英語力(青線)も左右されそうですが、一旦それは無視してこれは個人的なものなのでしょうか。それともそうゆうものなのでしょうか?


具体的には、英語で話したくないときは会話はイエス・ノー・イヤーくらいで済まします。こう思うとか、これだから嫌だとか言いません。逆に話したいときは、朝っぱら変なおしゃべりばかりします。一体ナンなんでしょうか?


考えられる理由1 基本的に日本語がオン
なんだか分かりませんが、常に頭が日本語状態になっており、英語に切り替えるのに過大にストレスがかかる状態。日本語の口で英語しゃべるので、流暢度もダウン。


考えられる理由2 つうか人と話したくない
理系ならこうゆう時がある!(いや、ないかも)


考えられる理由3 自分の英語に満足→不満足の繰り返し
これが一番該当しそうですが、英語ベラベラしゃべって「俺話せるじゃん」→話さなくなる→最近話してなくて英語で話したくなる→話し出す。という周期です。なんかこう落ちていくものを無理やり上げているような感じもしますが、基準が自分の英語力の確認になっているのが悲しいところ。




以上のことからこう考えるとすっきりします。


流暢度=ただの英語の自信度


ってえことは英語に自信がありゃずっと英語で話したくなるのかというと、常駐する考えられる理由1と2が邪魔しにくるので、流暢度の振れ幅が小さくなる程度でしょうか。これは経験を重ねることで伸ばせそうなので、まだ英語も伸びるのではと思うところです。


逆に全部取っ払うことが出来れば、いつでもおしゃべりが楽しめるのかもしれません。まあ個人的な性質の部分なので、こりゃ受け入れてコントロールが一番の解決策かも。

2012年4月14日土曜日

アメリカから日本を眺める

帰国期限まで残り4.5ヶ月と迫ってきた今、感じることは「アメリカでの生活に慣れた」ということです。


これは、こちらで時間を過ごしたからこそ言えることだと思いますがどこに行くにしてもなにをするにしても一定以上のエネルギーを消費しなくなりました。最初は、病院に電話したり、子ども同士の集まりに行くのも気が引けていましたが、いまとなっちゃあ準備時間0.5秒くらいで「じゃあやるか」といったところです。


スーパーも行きつけになり、何がどこにあって大体これくらいの値段で売られているだとか、ターゲット(Target)は特定の日を過ぎると激安ワゴンにお菓子が並ぶだとか色々と細かいことが分かってきて、自分なりの生活が送れるようになってきました。




それはどうでもいいのですが、ずーっとこっちにいっぱなしだと、日本人特有の空気を読む感覚が微妙になってくるのも感じます。そこで、空気を読む能力を最大限生かした結果、こちらにいるアジア人の学生は、がんばって学位を取得して、こちらで就職してアメリカに住み、そのまま母国には帰らないつもりの人が多いと感じています。


日本人は日本がベストだと思います。ごはんおいしいし、良くも悪くもみんな感覚が似ているし、みんな日本語話すし。豊かだし。日本は豊かで、経済大国だといわれていましたが、海外に出ないと日本がどれくらい豊かかは分かりません。はっきりいってアメリカよりも日本のほうが何をするにも便利です。多様性が無い分、上手く最適化されているのでしょう。つまり、日本人の感覚なら日本が便利。


アメリカの大学へ世界中から優秀な人物が集まり、母国に帰らないというシステムだとしたら、この国はそうとう懐が深く能力主義であると感じる反面、階層が下の人たちはアメリカが母国でも外国の優秀な人たちにやることを奪われるわけで、そうとうシビアだと感じます。「みんな一緒が素晴らしい!」なんて思ってたらこんなことにはなっていない分けで、努力・開拓しないものは誰も生き残れないということです。


まあ確かに、世界共通語が母国語で、英語を学ぶ時間が無い分他の事が出来ることが大きいわけで、基本的にはアメリカへ来る人たちは、英語と高度な勉学の2重苦にさらされるわけです。そう考えりゃ、英語が母国語なら時間的に有利。論文もテキストも全部母国語でかかれているわけですから。それでも外国の人に抜かれるようなら知ったこっちゃ無いと、いうわけですな。


では、母国に帰るつもりでアメリカで学位を取得することはどうか?アメリカで学んだ技術を母国に持ち帰るということです。個人的には素晴らしいことだと思いますが、なぜ回りの学生はそれをしようとしないのか?おそらくは、


1、生活レベルが落ちる
2、そもそもアメリカで(世界レベル)勝負をしたい
3、母国に有力企業が無く、結局他国の支社に入社


従って、母国に世界で通用する企業が無く、よりよい生活をするためにはアメリカで生活するのが手っ取り早い。世界中に支社があるので、幅が広がる。ということのような気がします。それにおそらくこちらでの生活が楽しいのでしょう。日本はこれがなく、日本語だけで世界に通用するものがまだある上、日本国内で回すだけでも十分豊かです。ですので特にアメリカでの生活に拘る必要がありません。




では、外国の人が日本で学位→仕事をとったとすると、アメリカよりも企業数が少なく、日本語と文化が独特。日本自体もアメリカのひも付きであることから、アメリカの方が魅力が高そうです。


従って、母国に見切りをつけた人あるいはより良い生活を求めている人は、様々な努力をしてアメリカで生活が送れるようにコントロールしようとしている。日本は一昔前に、アメリカを目指した殆どの人たちが日本に技術やらを持ち帰ってきた(はず)。その違いとなる理由は良く分かりませんが、少なくとも今の日本の置かれる世界的な地位を築いてくれた方々には頭が上がらない気持ちです。お蔭様で日本人は扱い悪くないですよ。帰りたいと思える国ですし。(エビフライが食べたい。)